1日1回は大泣きさせなさい
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大声で号泣できるのは しっかりと呼吸している証拠です 泣くことで肺の機能も強くなります むしろ1日1回は大泣きさせなさい
『カヨ子ばあちゃんの73の言葉』の著者である
久保田カヨ子さんは このように書かれています
正直これはキツい冗談でしょう と言いたくなりますね
少なくとも転勤族の私にとって 毎日赤ちゃんの泣き声を一人で受け止めるのは
ストレスや疲労 無力感や不安と闘うことでしかなかったからです
でも実家の母も同じようなことを言うので
しばらく放っておくようにしたこともありましたが
結局私が一番疲れるだけやん(>_<)って思っていました
だって誰もそばにいないし 抱っこしてくれるわけでもないのだから(-_-メ)
大きな赤ちゃんの大きな泣き声
ユウ君は3580グラムの大きめ赤ちゃんでした
帝王切開した傷の痛みを堪えながら 保育室を見に行った時のことです
はしから順に名前を探す私(^^)
可愛いあかちゃん 可愛い赤ちゃん ひとつとばして 可愛い赤ちゃん えっ??
ひとつとばした子 やたら大きいなー
うちの子やん( ゚Д゚) それがユウ君でした
その大きさは ほかに形容できないくらい
大きい赤ちゃんでした(@_@)
それを証拠に生後4ヶ月目くらいになる頃
腱鞘炎になってしまい整形外科に通うはめに、、、(-_-;)
しばらくビリビリした両手の痛みと闘いながら
抱っこしておんぶして子育てしてました
因みにユウ君が生まれた次の日に4000グラム越えの赤ちゃんが生まれて
上には上がいるもんやなー(*_*;って思いました
さてさて ユウ君は声も大きかったです
最初の1年はほぼ誰とも交流していなかったので
泣き声と向き合うのは辛かったです(>_<)
仕事をしているわけではないので 体は暇です
朝から好きなテレビを観て 好きなおやつも食べてました
でも楽しいこともなく 何をするでもない時間
ただ赤ちゃんを見守るだけの時間
そして夜は殆ど深い眠りになることはないので
日中はだいたいぼーっとしていて 集中力がない状態
頻繁に授乳やおむつ替えがあって
メリハリがないので ご飯も美味しく感じない
それでも家事や掃除をして 夕飯の支度
ある人は もっとお散歩したら赤ちゃん寝るよーとか
ある人は 昼間あんまり 寝かさない方が良いよーとか
言われるようにいろいろ試しましたが
ユウ君が3時間以上まとめて寝てくれることは
卒乳する1年3か月まで ありませんでした
この状態が一人きりの子育ての
一番つらい点だったと 今振り返っても思います
そんな時 子育ての先輩
いとこのR子が電話をくれました
私は 夜泣きと黄昏泣きに だいぶヤラレてると
弱音を吐いたのを覚えてます
R子は 赤ちゃんはストレス発散で 泣いてることもあるそうだから
そんなに気にしなくていいよーって教えてくれました
ストレス発散!?
あんなに訴えかけるように泣いてるのに(-_-;)??
乳児の頃の子育ては どういうわけか?
本当に訴えかけるように泣いてるとしか思えなかったんです
でも今 町でギャン泣きしてる赤ちゃんを見ても
何とも思わないのはなぜなんでしょう?
むしろかわいいし お母さんそんなに気にしなくても大丈夫だからね
って声をかけたくなります
私は心理学も脳科学も全く知識はありませんが
やはり赤ちゃんを守るという本能が
その泣き声を過敏に反応させてるとしか思えません
ないと困る本能なんでしょうが、、、(T_T)
さすが3人の子育て中の発言!
この言葉にはかなり ハッとしましたし 少し気が楽になりました
それでも夜の睡眠不足から 判断力が落ちてくることがあります
かわいいはずの息子を叩いてしまったりして、、、
こんな状態が続くことで 悲惨な事件になるんだろうと
容易に想像できるようになっていました
今の私が当時の私に会えるのなら
大丈夫だよ ちゃんと大きく育てられてるからねー
って安心させてあげたいです
わが子の癇癪(かんしゃく)をみて
ユウ君は 外では社交的な男の子でした
まるで自分が転勤族の子供だと知っているかのように
初めて会ったお友達にも
すぐに打ち解けて会話ができるほど社交的男子でした
家でも穏やかで 妹にも優しいお兄ちゃん
ユウ君が5歳になる頃には
妹2歳と二人で上手に遊ぶようになり
家事がはかどるようになっていました 穏やかな毎日(^^♪
そんなある日幼稚園で
同じお誕生日月の子供だけの お楽しみ会がありました
ユウ君と同じ2月生まれのお友達ばかり
ん~やっぱりユウ君大きいな(^^)
お楽しみ会が始まって
親子でどれだけ高く積み木を積むことが出来るか競争 が始まりました
私も負けたくない! ユウ君はもっと負けたくない!
よーし二人で力を合わせて頑張ろうね!
そう言って スタートしました
30センチほど積みあがっては 倒してしまい
また20センチほど積みあがっては倒して、、、
いまいち調子でないなー(-_-;) あと数秒で終了ってなった時
ユウ君が持っていた積み木で 自分から破壊 ガチャーン!( ゚Д゚)
世にいう癇癪でした
えっ いつものユウ君どうしたの? そして号泣(>_<)
これには私が驚きを隠せず あわてて先生がユウ君を私から離して
教室の外へ、、、
ベテラン先生がユウ君を落ち着かせるように
背中をなでながら何かを話しています
別の先生が 私に近寄り
お母さんビックリしましたね(^^ 大丈夫ですよ
頑張り屋さんに よく見られる現象です
ユウ君はすぐに落ち着くので 心配ないですよ
ということだった
私は 言い方おかしいですが
素人のお母さん て言われてる気がして
何だか恥ずかしい ここに居たくない
そんな気持ちになりました
わが子が泣いているのに 何も出来なかったことが
みっともない 無能なお母さん と言われているような気持ちになりました
それと同時に 先生がいてくれて良かったーという安堵感
とても複雑でした(-_-;)
5分ほどたってユウ君が目をパンパンに腫らした状態で
でも正気を取り戻した様子で帰ってきました
私:ユウ君大丈夫?
ユウ:うん大丈夫 ニコっ(^^)/
あー良かった
その後もお楽しみ会を続けて参加して プレゼントをもらって家に帰りました
家についてからは いつものユウ君で何も変わらず穏やかでした
私はというと またあんな癇癪を起すのかな?
ほかの大人がいなくて癇癪起こしたらどうしよう
そんな不安も抱いていたと思います
街で同じように泣き叫んでる子を見ると
あの時の光景が思い出されました
でも それからユウ君が癇癪を起すことは1度もありませんでした
子供が癇癪をおこしたら まずは周りに危険な物はないか?
あれば遠ざけるようにして 子供が落ち着くまで
干渉しないで待つ!ことだそうです
ただ待つ これは何だか難しそうですが、、、(*_*;
それで落ち着けたら しっかり褒めることを忘れないようにするそうです
一人でちゃんと落ち着けたねー だそうです
お母さん 頑張って!!
子供を子供扱いすると、、、
これはいとこのR子の話ですが
彼女は21歳で母親になりました
その長男の子育てですが(>_<)
3歳下に妹 その5歳下に弟が生まれ R子は毎日大忙しでした
そして妹が10歳になった頃 地域の少女バレーに熱中!
母もこれは応援しなきゃっと
せっせと土日も休みを返上して頑張っていました
長男はというと
R子自身が勉強しなかった後悔もあってか
算数や国語のドリルなど買い与え
遊びを制限して ひたすら勉強させたと言っています
長男君はおとなしい性格だったようで
お母さんの言うことは比較的真面目にこなしていました
それからも妹ちゃんはがっつりバレーに励み
とうとう特待生として名門高校に入学するほどに
そして長男君が専門学校に入ったころの話です
専門学校での成績が伸び悩んでいました
これはR子自身が話してくれたことですが
私は長男君の甘えたいとき 妹ちゃんに構いすぎてしまったなーと
あの頃もっと長男君の甘えたい気持ちを
心の根っこにもっと栄養を
注いであげればよかったって言ってました
なぜなら19歳になった長男君が
急に専門学校を登校拒否になってしまい
急にこう言われたそうです
ホンマは俺なんかいらんかったんやろ
どうせ妹と弟さえいたらよかったんやろ
俺なんてどうなってもいいんやろ
R子は最初何が起きたか分からなかったそうです
19歳と言えばもうお母さんの伸長を上回る大きさに成長した りっぱな男です
そんな大きな体になって 言うセリフかと???(*_*;
長男君にとっては 急にじゃなかったんです ずぅーと心にあったんです
自分だけは母の視界に入っていないんじゃないかって
家の中に一緒に暮らしてるのに 独りぼっちな気がしていたんです
それが19歳になって プチっと切れてしまったんです
R子はここから必死になって
今まであげていなかった彼への言葉 想いを探すことになりました
そして長男君は2年生の途中から休学することに、、、
立ち直るまで約半年かかりました
こんなの世間的によくある話じゃないって
思われるかもしれませんが
R子にとって 人生で1番長い半年に感じたのは間違いないことです
そしてこの間は出来る限り 彼の気持ちを尊重して
子ども扱いではなく 一つの人格として大事に 丁寧に対応したようです
親子でも相性はあると思っています
幸い私の子は ユウ君が私に似てて 解りやすいと言えば解りやすい(^^)
食べ物の好みや 考え方もほぼ一致 合理主義的な考え方
妹モモは好きな食べ物が完全パパ寄り
考え方は60歳くらいのお婆ちゃんで
少々不気味なところもありますが 私が悩んだ時に
ふと違う角度の答えをくれる 正反対の人格者です
私にとって 太陽と月の存在だと思っています(*^^)
そんな愛しい二人でも
意見が合わないときはこう考えるようにしています
体は小さいけど 一つの人格で
決して子ども扱いはしないでおこうと
そう考えると子供たちにとって
解りやすい言葉をチョイスできるような気がしているからです
例えば 小学3年生になったある日
モモが友達に誘われて
子供が歩いて20分以上はかかる公園に行ってもいいか?
と聞かれた時でした
その公園には人気の大きな滑り台があって
モモも大好きな公園でした
ダメ!危ないから行っちゃダメっ ていうのは簡単だけど
彼女が行きたい気持ちを ちゃんと理解して
それでも行ってほしくない理由をきちんと伝えないと、、、
そう思いました
あのねモモがもしあの大きな滑り台でけがをしたら
いつもの公園だったら3分で助けに行けるけど
あそこは遠いから 最低でも30分はかかると思うよ
あの滑り台は楽しいけど けがする危険もあるよね
それでも行きたいなら1時間だけ行ってもいいよって言いました
するとモモの答えは
わかった じゃあ今度お母さんと一緒に行けるようにしてね
と言ってその日のお友達との公園行きは見送ってくれました
その後絶対その公園には行かないとだめですけどね(*^-^*)
ユウ君ともその時々に 応じてきたと思っています
それが私なりの 子供の根っこへの水やりだと思っていますし
これを丁寧に説明することで 何度言っても同じことするーが
比較的 少なかったように思います
それにいつか親の知らないところで 子供たちが何かに対峙した時
それでも私たち親に 相談してくれるのか?
私はいつまでも相談される親でいたいから
そうしているのかもしれません
何よりこうして一緒に成長してる過程が
じわーっと幸せなイル子でした(*^-^*)
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